愛媛県松山市にある萬翠荘は、大正時代に松山城のふもとに建てられたフランス風建造物です。松山市街にひっそりと佇む建造物ではありますが、館内外ともに見どころがあり、十分に観光スポットとして楽しむことができます。今回はその萬翠荘(主に1階)の見どころについてご紹介します。
萬翠荘とは
萬翠荘は今からちょうど100年前の1922年の大正時代に建てられた洋館で、当時の松山藩主である久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が別館として建造した建物です。 当時最先端の建築技術で建てられた洋館は、最高の社交場として多くの名士たちが足を運んだそうです。
現在は観光地として館内を見学することができ、1階の部屋を貸切って利用することもできるので、個展などの展示会イベントも定期的に行われています。
基本情報
入館料 | 大人:300円 高校生以下:100円 未熟学児:無料 |
休館日 | 9:00~18:00 |
開館時間 | 月曜日(祝日は開館) |
駐車場(無料) | 約20台 |
アクセス | ・道後温泉駅前行き 大街道から徒歩5分 ・松山自動車道松山ICから約5分 |
イベント情報などは公式HPやインスタグラムで確認することができるのでよかったらご覧になってみてください。
外観、入口
フランス風の白い外壁に緑の屋根の洋館は、建設当時に建設を指揮した久松定謨(ひさまつ さだこと)伯爵がフランスに留学していたこともあり、フランス式建造を忠実に建設されています。建物横、裏に駐車場があり、約20台ほど駐車することができます。
愛松亭「漱石珈琲店」
萬翠荘の少し手前(西南)にある『愛松亭 漱石珈琲店』では「漱石コーヒー」や軽食、デザートも食べることができます。テラス席ではペットと一緒に食事を楽しむことができるそうです。公式ホームページもあるので気になる方はご覧になってみてください。
玄関前
洋館玄関前には皇族仕様の人力車が展示してあり、乗って自由に撮影することもできます。
館内入口の扉前には、お客様情報の記入用紙があるので名前と住所を記入し、入館してすぐ左に受付があるので入館料と一緒に提出しましょう。
館内
館内に入ると受付で料金を払いチケットをもらい、館内を見学することができます。毎日かどうかはわかりませんが、ボランティアで館内を説明してくれるガイドの方もいますので時間があれば館内を説明してもらいながら見学するとより楽しむことができます。
1階
館内の1階では受付、トイレ、展示会のイベントで仕様される『謁見の間』と『晩餐の間』があり、ちょっとしたお土産売り場のスペースもありました。
入館時に出迎えてくれる2本の柱
入館してすぐに両脇にある大きな柱は、ピンク色のまだら模様が特徴の岡山県で採れる万成(まんなり)石を使用しています。
柱の真ん中から下に向けて少し膨れた形をしています。これは女性の姿を表現した形だそうで、柱の上の黒いは髪をイメージしているそうです。
綺麗な柱は当時の職人さんが手作業で磨きあげており、とても綺麗な仕上がりでした。
謁見の間
入館してすぐ右の部屋の「謁見の間」は、当時は来賓のお客様が集まり、交流する場所となっていました。現在では展示会場などとして利用されており、定期的にイベントが開催されています。
お客様を迎え入れる場所なので、華やかで豪華な造りとなっています。また、部屋の入口の扉上のステンドグラスのデザインも華やかさを表した『蝶々』が描かれています。
暖炉の両脇にある「晩餐の間」に繋がる2つの扉の上にある絵画は、松山市出身である画家の八木彩霞(やぎさいか)が描いた物で、1つは当時の松山地域を『三坂峠』 から見下ろした景色を描いています。
もう一つの絵画は、現在の横浜に当たる場所を描いたもので、当時の横浜を開拓する際に、松山藩主の人たちが横浜に赴き埋め立てや石垣など礎を作り上げたとされています。現在も横浜のビルの一部に石垣が残っており、実際に見ることができるそうです。
そして、一番の見どころは暖炉の上に設置されている大きな一枚鏡です。当時の日本ではこの大きさの鏡を作る技術がなかったため、ベルギーから直接輸入したものだそうです。また、当時鏡というのは、姿を映し出す目的ではなく、インテリアとして利用する目的で使用されることがほとんどだったそうです。
晩餐の間
晩餐の間は名前の通り、食事をする部屋のことで、招待した客人をおもてなしするために当時は食事をこの部屋で行っていたそうです。現在は謁見の間と同様イベント会場となっており、展示会などで使用されています。謁見の間とは違い、高級感を残しつつも少し落ち着いたシックな造りとなっています。
ステンドグラスのデザインは、食事をするということもあり、フルーツと野菜をイメージして描かれているそうです。
晩餐の間の角にある写真の扉は、地下にある調理場に繋がる廊下の扉となっており、現在は見学することはできません。調理場も当時では一般家庭では使用することのないガスを使って調理していたとされています。
そして扉奥の廊下も料理を運ぶ使用人と、客人がすれ違ったり対面することがないように工夫し、調理場と直接繋がっています。扉自体も左開きで、扉を開けた時に扉が目隠しになるような作りとなっています。
晩餐の間の一番の見どころは、全て本物の水晶を使用した大きなシャンデリアです。本物の水晶なので1つ1つの大きさや形が違い、運気の上がる水晶をたくさん使用したシャンデリアが2つもあることからパワースポットの部屋でもあるそうです。
水晶はシャンデリアだけでなく、晩餐の間で使用している天井の木材にも細かく砕いて埋め込まれています。なので、天井をよく見ると所々キラキラと光って見えることから「輝く天井」のようなことをガイドさんが言われていました。
先進的な生活
各部屋の暖炉では、薪を燃やして火を焚くのではなく、写真の暖炉の右下にある(黒いでっぱり)ガス管からガスを利用して暖をとっていたそうです。当時の一般家庭では囲炉裏などで火を起こして暖を取っていた時代なので、いかに先進的な生活をしていたことが伺えます。
各部屋の暖炉の横にある写真のボタンは、各使用人を呼び出すためのベルのボタンだそうで、「晩餐の間」の呼び出しボタンは何処に繋がるか、各ボタンの文字が今も残っています。各ボタンを押すと対象の部屋で音が鳴り、その対象によって音が違ったとされています。
2階
2階は御座所、萬翠荘の使用人の部屋があり、現在は一部当時の部屋の再現をしていますが、その他の部屋では萬翠荘の歴史についての資料や俳句、ロケの撮影風景が展示されています。
2階に上がる際にある大きなステンドグラス
縦幅約4m、横幅約3mの大きなステンドグラスで、ステンドグラス自体は海外で制作したものを取り寄せた物になりますが、大阪中央公会堂、京都都ホテルや岐阜県庁のステンドグラスを制作した木内真太郎がデザインしたと言われています。帆船と海のデザインは、久松 定謨がフランスに渡る時の思い出を彷彿させるものとなっているそうです。
各展示の間
映画「ソローキンの見た桜」のロケ地になったそうで、撮影時の撮影風景を写真のパネルで展示しています。この部屋は当時更衣室に当たる部屋でした。
沢山の方の俳句がある部屋は、当時では侍従と言って、付添人に当たる人の部屋でした。
それ以外の一部の部屋では、各部屋に音声ガイドがあり、台のボタンを押すと部屋の解説を行ってくれます。
最後に
萬翠荘は施主、設計共に日本人が全て行い建てられた洋館で、フランス留学した久松 定謨だからこそ忠実にフランス風洋館に仕上げられたとされています。建物が完成してから初めての客人は裕仁親王(後の昭和天皇)とされており、その他にも多くの皇族や名士が訪れたとされています。松山の歴史にも触れることができ、ガイドさんの話も楽しく聞くことができたので、観光で寄った時に時間がある方はじっくり見学されてみてください。
松山市での観光スポットについてはこちらの記事でご紹介しているので、ぜひご覧にください!

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